斉明天皇の謎に迫る:紹介動画を作ってみて気づくこと

 歴代天皇の中でもとても不思議な天皇が、第37代斉明天皇です。

 何が不思議なのかというと、すべてが異例づくしなのです。その一部を動画にまとめました。乙巳の変から百済復興のために九州に赴き、そこで薨去するまでのシーンです。

 以前の宝姫の動画のように笑顔はなく、斉明天皇は無表情で冷徹さを感じます。

 

斉明天皇の謎

 斉明天皇の謎とは何か。ざっと挙げれば以下のような項目が頭に浮かびます。

  1. 再婚で皇后になった(宝皇女)。
  2. 祈祷により大雨を降らせた(皇極天皇)。
  3. 息子が大臣を天皇の面前で暗殺するのを目撃した(皇極天皇)。
  4. 日本で初めて、生前譲位(退位)をした(皇極天皇)。
  5. 日本で初めて重祚し、再び天皇に即位した。
  6. 飛鳥に巨石文化を築き、外交、内政に活用した。
  7. 日本で初めて、天皇自ら皇族一同を引き連れ朝鮮半島侵攻のために九州に出陣した。
  8. 舒明天皇との間に生まれた3人の子は全員、天皇か皇后になった

 この不思議は、どれ一つとってもほぼあり得ないと思えるようなことばかりです。それがなぜ、斉明天皇に集中しているのか。

 これを考える上で、これらの謎はそれぞれバラバラに存在するものではなく、1本の筋書きで繋がるのではないだろうか、と考えると辻褄が合うのではないでしょうか。

「乙巳の変」で見過ごされていること

 この謎をひもとく最初のヒントが乙巳の変です。この直後、皇極天皇は退位します。これは「日本史上初の天皇の譲位(退位)」とされています。

 前例の無い天皇の退位が即座に承認され、次の天皇がすぐに即位するなどあまりにも迅速すぎます。

 この謎を解く鍵は、次の日付ではないでしょうか。

  • 皇極天皇4年6月12日(645年7月10日) 皇極天皇の息子中大兄皇子らが皇極天皇がいる宮中で蘇我入鹿を暗殺。
  • 皇極天皇4年6月13日(645年7月11日) 入鹿の父の蘇我蝦夷が自害する。 
  • 皇極天皇4年6月14日(645年7月12日) 皇極天皇は同母弟の軽皇子(後の孝徳天皇)に大王位を譲った。

 このたった3日間のスケジュールを異常と思わない人がいるのでしょうか。前例の無い天皇の退位と後任天皇への譲位が即日に決まる。スケジュールがあまりにもタイトなのです。

 このスケジュール通りに事が運んだと言うことは、当時の有力者達がこのスケジュールで致し方ないと納得したからだと思います。

 このような皇位継承を巡るドタバタ劇の短期間での収束は、長い歴史の中でもこの時が最初で最後でしょう。なぜ、皇極天皇は先例のない退位ができたのか。それは、周囲の豪族・皇族など有力者たち全員が、皇極天皇はもはや天皇の職務を全うできない、と判断したからではないでしょうか。

 なぜ、そう判断したのか。息子が首謀者となった暗殺劇が理由でしょうか。しかし、それが理由だとすると、有力者達のあまりにも早い退位承認判断に疑問が残ります。状況を把握してからなど悠長なことを言っている余裕などなく、有力者達には選択の余地がなかったのです。選択はたった一つ。それが皇極天皇の即日退位だった。だから、退位が即座に決まった。

 誰が見ても、もはや皇極天皇は天皇の職務を全うできないと、有力者達全員が納得できるだけの理由があったと言うことです。

 それは、蘇我入鹿暗殺ではなく、事件翌日の蘇我蝦夷の自害だったと管理人は考えます。そして、蘇我蝦夷こそが斉明天皇の最初の夫だった、と管理人は推測します。

 舒明天皇亡き後、この「元夫:蘇我蝦夷」により支えられた皇極王朝は、蘇我蝦夷の自害、蘇我氏本家滅亡により後ろ盾を失うことになります。さらに、その原因を作ったのが皇極天皇の息子の中大兄皇子であるならば、皇極王朝は即日退陣させざるを得ません。迷っている時間的余裕はありません。有力者達に選択の余地はなく、皇極天皇退位で一致したと管理人は考えます。

 もし、そうであるならば、この特殊な状況は理解できます。天皇を支えた元夫が自害したのなら、天皇が即刻退位しても不思議ではないし、周囲がそれを承認したのも理解できます。大臣が暗殺されたからという単純な理由ではないということです。

 蘇我蝦夷が皇極天皇の最初の夫だったとすると、皇極天皇の驚きと悲しみは尋常ではないでしょう。更に、この暗殺事件の首謀者が自分の息子だったとすると、もはや皇極天皇の心は壊れてしまう。それほどの衝撃的な事件だった。だから、壊れた天皇を見て有力者達は天皇の退位承認で一致した。

宝皇女(皇極天皇)の子供はどうなった

 蘇我蝦夷と宝皇女(皇極天皇)との間に生まれた子供はどうなったのでしょうか。

 日本書紀には、「宝皇女((たからのみめみこ):皇極天皇)は高向王(用明天皇の孫)と結婚して、漢皇子を産んだ」とされています。しかし、高向王とは誰なのか誰も知りません。漢皇子がどうなったのかも誰も知りません。そのような記述が存在しないからです。すると、高向王の存在、また、高向王との婚姻の事実も怪しくなります。

 夫・子持ちの宝皇女が田村皇子(舒明天皇)の妻となる条件として提示したのは、夫と子供を高い官位に就けることだったと考えられます。田村皇子側が夫と子供を殺してしまっては、田村皇子は宝皇女の愛を一生得られない。それでは他人の妻を奪う意味がない。

 田村皇子が舒明天皇として即位し、宝皇女は皇后になります。皇后は一人しかいません。たくさんいる側室とは違います。舒明天皇の宝皇女に対する入れ込みようが分かります。

 宝皇女の最初の夫が蘇我蝦夷だったとすると、最初の息子の漢皇子はどうなったのでしょうか。当然、要職に就くことが約束されているでしょう。

 では、漢皇子は誰になった? たぶん、漢皇子とは大海人皇子なのではないでしょうか。

 この仮説が正しいとすると、大海人皇子と中大兄皇子は、通説通り同じ母親から生まれた兄弟ということになりますが父親は違います。

 乙巳の変で日本書紀デビューする中大兄皇子に対し、大海人皇子はなかなか登場しません。もし、この仮説が正しければ、日本書紀の中に大海人皇子を簡単に登場させることができないのです。

 この仮説を支援するものとして、大海人皇子の方が年上だったのではないかという説もあります。日本書紀に天武天皇(大海人皇子)の没年齢が記載されていないからです。このため、誕生年が大海人皇子だけ不明という奇妙な状況になっています。

 ここから先は、天智天皇と天武天皇。そして、天武天皇の皇統が天智天皇の皇統に置き換わることを考えたいと思います。

 天武天皇は多くの改革を成し遂げた偉大な天皇ですが、母親は天皇であるものの、父親は天皇ではない。とすれば、正統な皇統は天智天皇系統であるという考えが当時の人達にもあったのではないでしょうか。持統天皇がいくら頑張っても天武天皇の皇統を残すことがかなわず、第49代光仁天皇を最後に天智天皇系に皇統が遷ります。その影には、藤原氏。藤原氏の始祖は藤原鎌足=中臣鎌足ですね。この人物は、重要人物の襲撃・暗殺の時に登場するものの、歴史的に何をしたのかよく分からないのに偉い人に祭り上げられているという不思議な人です。

「蘇我蝦夷」という蔑称を付けたのは誰だ

 「蘇我蝦夷」とか「蘇我入鹿」など奇妙な名前で生前彼らが呼ばれていた分けではないでしょう。明らかに蔑称です。「蝦夷」など東北の蛮族の蔑称です。そういえば、蘇我馬子も変ですね。

 死後の諡として蔑称を与えたのではないでしょうか。そして、日本書紀には、斉明天皇の悪口が書かれている。日本書紀の編纂を命じた天武天皇の実母である斉明天皇の悪口を日本書紀に書き残すという行為はとても恣意的です。後の世になり、蘇我氏本家とそれに深く関わる斉明天皇を貶め、さらに、天武天皇まで排除したい勢力が日本書紀を書き換えたのではないかと思います。

 そうでなければ、斉明天皇が建設した人工運河を「狂心渠(たぶれごころのみぞ)」と当時の人達が言っていたとは日本書紀には書かないし、書くわけもありません。まさに、書かなくてもよい一文なのです。それをあえて日本書紀に書いたということは、特定勢力がこれを書き加えたという証でしょう。

 「狂心渠」という運河は、「岡」の建設のための石材を運搬するために造られたとされていますが、実際には、隋の大運河を真似て都への舟運による物流インフラの整備事業だったと考えられます。日本書紀の記述の方がおかしいのです。

百済復興支援のなぞ

 今回の動画では斉明天皇が筑紫で亡くなるまでを描いています。

 斉明天皇最大の謎は、百済復興支援のための派兵にあると管理人は考えています。

 これって、どう考えてもおかしい。遣唐使も派遣しているし、唐の国力も十分承知しています。それなのに唐に戦いを挑むなど理解できません。

 斉明天皇は、九州に赴き、その地で亡くなりますが、その本気度がすさまじい。皇族を引き連れて九州に渡っています。ほぼ、遷都という状況です。この九州行きの船の中で出産した王女もいるくらいなので、一族挙げて九州に向かったという事でしょう。臨月の王女まで船に乗せたのです。このことだけで斉明天皇の本気度が分かります。

 後の世に、秀吉が朝鮮出兵をするときに、一族を引き連れて名護屋城に行った分けではありません。斉明天皇の百済救援はあまりにも異常なのです。

 すると、本当に百済復興が目的だったのかという疑問が湧きます。百済の復興を目的にそこまでやるか、という事です。しかし、そこには、宝皇女の出生の謎が関わってくるのではないでしょうか。斉明天皇の半島出兵目的は、百済復興ではなく別の目的があった。それは、・・・。

 つづく。 (といっても、後ほどここに追記します。眠いので寝ます。)