明治時代のお話です。場所はアメリカ。
1889年11月14日、二人のうら若きアメリカ人女性が同じ日に世界一周の旅に出発しました。一人は東へ、もう一人は西へ。
東回りで世界一周を目指したのがネリー・ブライ。そして、西回りで世界一周を目指したのがエリザベス・ビスランドです。
この旅はとてもスリリングなものでした。旅の内容については過去記事に記載しています。関心のある方はお読み下さい。とてもおもしろい内容です。
『19世紀末の二人のアメリカ人女性による究極の「世界一周」への挑戦』
エリザベス・ビスランド は、世界一周旅行に出かける以前から美人記者として有名でした。家柄も育ちもいいお嬢様。しかし、南北戦争で敗れた南部出身のため財産を失い、当時は貧乏な生活をしていました。
エリザベスの写真として公開されているのは二枚の写真だけ。下の写真はお年をとってから撮影されたもののようで、たぶん、50歳くらいなのでしょう。
そこで、28歳くらい、つまり、世界一周に出発した当時の容姿を再現してみました。
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が惚れるわけです。美人ですね。
エリザベスが帰国後に語った日本のすばらしさを聞いたハーンは日本行きを決意。
・・と書いてある書籍やネット記事は偽物です。エリザベスとハーンはアメリカにいる時から頻繁に文通しており、その中に日本に対する関心が頻繁に登場します。
若い頃のエリザベス。
はっきり言って、この程度の美人はそこら中にいると思います。しかし、アメリカ人が彼女を美人と感じた理由は「家柄」が関係しているのでしょう。
どの国も「家柄」にとても弱い。民主主義国家でも社会主義国家でも皆同じです。