幕末明治の偉人:山岡鉄舟の高画質画像

 山岡鉄舟という幕末・明治期に活躍した人物をご存じでしょうか。たぶん、山岡の熱狂的フアンの方がいると思います。

 そんな方のために、山岡鉄舟高画質画像を作りました。超高画質版の山岡鉄舟です。

 山岡鉄舟の業績として有名なのが、江戸城無血開城の本当の立役者としての活躍です。

 しかし、幕末の出来事を皇女和宮中心で考えている管理人としては、和宮の薨去を電報で宮内省に知らせた人物として記憶しています。

 幕末の混乱期、朝廷が和宮の安全確保を頼んだのが幕臣の三人。その一人が山岡でした。

 そして、明治10年、和宮が箱根で亡くなる時期に宮内省の和宮(静寬院宮)の担当だったのが山岡鉄舟でした。山岡が和宮危篤の知らせを受け、お見舞いに箱根に行った二日後に和宮は亡くなります。

 朝廷が信頼した旧幕臣の三人は、明治になってからも、常に和宮や徳川宗家に寄り添っています。

 和宮が晩年に住んだ麻布のお屋敷の斜め向かいには大久保一翁が住んでいました。赤坂の徳川宗家・篤姫が住むお屋敷の斜め隣には勝海舟が住んでいました。そして、明治政府の和宮担当責任者は山岡鉄舟。

 このような視点で和宮に関する記事をたくさん書いています(本当にたくさんあります www)。関心を持たれた方は過去記事(なんでも保管庫2)でサイト内検索してみて下さい。

 本サイトでは山岡鉄舟を主題として取り上げた記事はありません。いつか書きたいと思います。しかし、明治期の勝海舟が魅力的なのでなかなか山岡まで話がつながらない。勝海舟についてもっと書きたいと思います。勝海舟はとても魅力的でミステリアスな人物です。