バミューダ・トライアングルの謎ってもう解明されているんだ!

はじめに

世界の謎に関して、管理人的には『バミューダ・トライアングル、魔の三角海域』が筆頭格の謎だったのですが、どうやらこの謎は解明されているらしい。

今日は、この「バミューダ・トライアングルの謎」を追ってみたいと思います。

実は管理人は、このバミューダ・トライアングルを豪華客船で旅したことがあります。マイアミからバハマ・ナッソーまで周遊するクルーズ。たしか、二泊三日だったと思います。

消失事故に遭ったらどうしようと心配したのですが、海は穏やかで、エレベーターが七つもある豪華客船の旅を満喫して無事にマイアミに戻りました。行ったことのない人にとって、バミューダ・トライアングルは頭の中でしか想像できないものでしょう。しかし、管理人は、具体的なイメージを持ってこの記事を書くことができます。

バミューダ・トライアングルの謎とは

フロリダの東、マイアミ、プエルトリコ、バミューダ島の三点を結ぶ三角形で囲まれた海域・空域で、船や飛行機が謎の消失をする。これが「バミューダ・トライアングルの謎」と言われるものです。

この海域は、サルガッソ海と呼ばれ、昔から海の難所として恐れられていました。無風の状態が何日も続き、帆船はここで立ち往生。サルガッソ海は、メキシコ湾流、北大西洋海流、カナリア海流、大西洋赤道海流に囲まれた海域であり、時計回りの大きな渦のような海流が発生し、浮遊性の海藻がこの海域に集まることから、これが船の舵やスクリューにからまり、航行不能となり難破する、と船乗りから恐れられていた、との伝承があるようです。

近年でも発生している船舶・航空機の消失事故

この項は、NHK、幻解超常ファイル 出典1) に基づき記載。

北大西洋、魔の三角海域、フロリダ、プエルトリコ、バミューダ諸島を結んだ三角海域、バミューダ・トライアングル。

100を越える船や飛行機が謎の失踪。ここでは、船が、飛行機が、突如謎の失踪をする。

たとえば、1918年、アメリカ海軍給炭艦・サイクロプス号は救助を求めるSOS信号すら発することなく、乗組員309名と共に突如として消えた。


Image: Wikipedia, USS Cyclops

1925年、日本の貨物船、来福丸は「早く来てくれ、脱出できない!」という奇妙な通信を残して消えた。いったい何に捕らわれていたというのか。


Image: Wikipedia、来福丸

1945年、アメリカ海軍の爆撃機5機が、天気が良かったにもかかわらず、「我々のいる場所はどうやら、・・・」という謎の通信を最後に、5機が同時に消えた。


Image: Wikipedia, flight 19

これまでに消えた船や飛行機は100以上。行方不明者は1000人を越え、生存者はおろか、残骸のかけらも残さず姿を消し、未だ、一件も解決していないというのだ。

バミューダ・トライアングルとはどれほど恐ろしい場所なのか。

NHK取材班はバミューダ・トライアングルの一角、バミューダ諸島へ向かった。

バミューダの人々はバミューダ・トライアングル伝説をどう考えているのか。

「事故は起きているんでしょうけど、伝説は信じていません。ハリケーンの季節に海が荒れるから、それが原因で事故が起こったのだと思います。」

「事実じゃなくて伝説でしょ。昔は設備が不十分だったから、事故で消えたんだと思うよ。」

つまり、消滅ではなく、事故だと語る人がいる一方で、何かの「異変」を語る人も。

「あの海域では特殊な空気が漂っていると思うわ。それで何か良くないことが起こっているのよ。」「あそこは古代のミステリースポットと言われるけど、僕もそう思うね。」

「実際に海で不思議なものを見た」という人もいる。

では、どんな消失事件が起きているというのか。詳しく見ていこう。

フライト19事件

1945年12月5日に発生した「フライト19事件」。

それは第二次世界大戦終結からおよそ三カ月後のこと。フロリダのアメリカ海軍基地(フォートローダーデール海軍航空基地)から五機の雷撃機編隊”フライト19”が訓練のために飛び立った。離陸した時刻は午後二時過ぎ。天候は素晴らしい飛行日和だったという。隊長は、飛行時間2500時間を越えるベテランパイロットのチャールズC.テイラー中尉。

訓練は、基地を出て低空爆撃を行った後、進路を二度変えて基地に戻るというきわめて簡単なもので、まだ太陽が出ている4時過ぎには全てが終了するはずだった。

ところが、「白い水に突入!」「我々は完全に迷った!」という交信を最後に、5機の爆撃機が一斉に消えた。雷撃機には計14名の兵士が乗っていたが、全員死亡とされた。

失踪した”フライト19”を探すため、(現)パトリック空軍基地から離陸した二機のマーティンPBMマリナー飛行艇が遭難機の捜索を開始したが、このうちの1機の飛行艇も13名の乗員と共に行方不明になる。空中爆発したものとされている。フォートローダーデール海軍航空基地および隣の(現)パトリック空軍基地では、一日で航空機6機と乗組員27名を失うこととなる。

そんなことが本当に起こり得るのか。

ささやかれている仮説

実は、バミューダ・トライアングルで謎の失踪をしたという伝説を調べてみると、事故を起こすような気象状況ではないのに謎の交信を残して失踪。救助を求めるSOS信号を発することなく突如消える、というパターンが多い。

では、これらに共通するシチュエーションが起きる原因とは何だろう?

 ・宇宙人による拉致 
失踪した船や飛行機が残骸も残さず跡形もなく消えるのは宇宙人の仕業以外に考えられない。

 ・異次元に迷い込んだ 
バミューダ・トライアングルにはブラックホールのような穴があり、そこに入り込んだら出られない。他にも、海底ピラミッドや海の巨大生物の仕業など、怪しげな仮説がいくつもある。

 ・ダウンバースト説 
一方で、実際の自然現象を元にした仮説もある。ダウンバースト説。かつては白い嵐と呼ばれ、船乗りに恐れられた自然現象で、快晴の穏やかな海で局地的に発生する巨大な下降気流。一瞬にして発生することから、予測が難しく、これが飛行機を墜落させ、船を沈没させるのではないかと言われている。

 ・メタンハイドレート説 
メタンハイドレートとは、水とメタンが結合し、海底で結晶化したもの。近年、新たなエネルギー源になるのではと注目されている物質だ。地割れなどでメタンが大量に放出されると船の場合は浮力を失って沈没。航空機の場合は、吸い込んだメタンガスに引火して爆発を起こす。などと言われている。

・・・と仮説はいろいろあるのだが、全ては広大な海で、誰にも目撃されることなく起きている事件だけに、確定的な原因は分かっていないのだ。

メアリー・セレステ号事件

海で突如として消える。それは船や飛行機だけではない。乗り物を残して人間だけが消えることもある。

中でも最も有名な事件が、メアリー・セレステ号事件だ。


Image: Wikipedia、メアリー・セレスト

今からおよそ150年前の1872年12月4日、ニューヨークの運搬船デイ・グラチア号は、ポルトガル沖で奇妙な船を発見する。船の名前は、メアリー・セレステ号。人の気配がなく、呼びかけてみたが返事もない。

難破船だろうか。デイ・グラチア号の船員が乗り込んで調べてみたが、船に人影はどこにも見当たらない。ところが、彼らは驚きの光景を目撃する。何と、食堂のテーブルに湯気の出ているコーヒーやパンなど、まだ温かい食事があったのだ。それは、直前まで人がいたとしか思えない光景。それだけではない。乗組員が誰もいないにもかかわらず、救命ボートは残されたままだったのだ。つまり、普段の何気ない日常生活の中で、突如として人が蒸発したとしか思えないのだ。

時として、一瞬でその表情を変える海。そこであなたが消えても、目撃者がいなければ一巻の終わり。あなたも永遠の謎となるのだ。

バミューダ諸島には、周辺で発生した事故の一切の記録を保管している組織がある。バミューダ海事オペレーションセンター(Bermuda Maritime Operations Center,RCC Bermuda)。1980年に発足したバミューダ政府の機関。周辺およそ320KmのSOSを受け入れ、船や飛行機の捜索救助活動を行い、全ての事故原因の調査を行っている。

バミューダ海事オペレーションセンター管制責任者デニス・ロウさん
「私たちは全ての事故原因を把握するため追跡調査も行っています。それが地元の船であろうと、海外の船であろうと、原因を正確に把握できるまで徹底的に調査しています。」

では、バミューダ・トライアングルで謎の失踪事件の記録はあるのだろうか。

「いいえ、そのような記録はありません。船が座礁した記録はありますが、船が失踪した記録はありません。このエリアは1年の半分はハリケーンが通過します。GPSもなく、ハリケーンの予測も不十分でした。また、人的ミスも大きな要因として考えられます。それらが船の失踪や沈没を起こしたのではないでしょうか。今も毎日何千もの船が通過していますが、何の問題も起きていません。」

では、謎の失踪事件の話の出所はどこなのか。

バミューダ・トライアングルの伝説は一冊の本から始まった

バミューダ・トライアングルの伝説について、世界的に影響を与えた一冊の本がある。アメリカの言語学者で超常現象研究家だったチャールズ・ベルリッツが1974年に書き下ろした「バミューダ・トライアングル(The Bermuda Triangle)」。この本は、20カ国語に翻訳され、500万部を超える世界的大ベストセラーになった。

この本には、「(バミューダ・トライアングルでは)100以上の飛行機と船舶が文字通り跡形もなく姿を消し、そのほとんどは1945年以降に発生しています。また、そこでは過去26年間で1,000人以上の命が失われました。 さらに、消失現場からは、遺体あるいは消えた飛行機や船の残骸さえ発見されていません。今日、海路と航空路ではより多くの移動が行われ、多くの捜索、記録がより注意深く保持されているにもかかわらず、失踪事故は継続して発生しており、それは明らかに増加傾向にあります。」と書いています。

では、この本に書かれている内容と真実との違いを確認してみよう。

来福丸事件の真相

日本の来福丸は、川崎造船所が1918年(大正7年)に当時の世界最短記録となる30日間で建造した貨物船である。主に国際汽船により運航されたが、1925年(大正14年)4月21日にカナダ沖で悪天候のため転覆沈没した。地点の異なるバミューダトライアングルでの行方不明船として紹介されることがある。 (Wikipedia、「来福丸」)

来福丸と横浜山下埠頭に係留されている氷川丸を比較すると次のようになります。来福丸は決して小さな船ではないことが分かります。

ベルリッツの著書によれば、「早く来てくれ!脱出できない(Come quickly・・・We cannot escape.)」、と何かに捕らわれたように救助を求め、バハマ諸島とキューバの間で行方不明になったとされている。ところが、来福丸は別の船によって、決定的瞬間が撮影されていた。


Image: イギリス客船・ホメリック号より撮影。

なんと、来福丸は人知れず失踪したわけではなく、救助にきた別の船の目の前で、大時化に遭遇し、沈没していたのだ。

しかも事故現場は、バミューダ・トライアングルから遠く離れたカナダ沖だったという(1925年4月23日東京朝日新聞)。遭難場所は、ノバスコシア州ハリファックスの南南東200海里。別の謎である「オーク・アイランドの財宝」で有名なオーク・アイランド島の沖合が沈没地点となります。

救助に来たイギリス客船・ホメリック号は、目前で沈没した来福丸に白人の乗客・船員がいないことを確認すると、救命ボートも降ろさず、その場を立ち去ります。これが後に国際問題に発展します。この経緯は本題から離れるので関心のある方は調べて下さい。

さらに、最後の交信も、「本船は今や危うく沈まんとしている。しかし救いの船は60マイルの所からここに向かっている。」、というもので、「早く来てくれ!脱出できない」とは言っていなかったのである。

Wikipediaによれば、「暴風雨のため救命ボート全部破壊された。船体の傾斜30度になり、航行不能。至急救命乞う」との遭難通信を発信。

当時の新聞記事では、最期の言葉として「本船は今や危く沈もうとしてゐる。しかし救いの船は60マイルの所からここに向かってゐる。 館長」と記載されています。(原文のママ)

フライト19失踪事件の真相

ベルリッツは、アメリカ海軍の「フライト19失踪事件」についても多くのページを割いている。

改めて確認すると、気温は摂氏18度。太陽は輝き、雲はまばらで理想的な飛行日和だ。日常的な飛行訓練を率いたのは飛行時間2500時間以上の指揮官テイラー中尉。この飛行中に異常な事態が発生しそうな気配はこれっぽっちもなかったのだが。

「白い水に突入した!」という交信を残して、5機が一斉に消えたのである。ベルリッツはこの事件を不可解な失踪を遂げた完全な消滅事件と書いた。

しかし、実際はどうだったのか。

アメリカ国立公文書館。ここに当時海軍が行った事故調査報告書が残っている。報告書によると、フライト19の機体は、フロリダ半島沖の暗闇の中、海面に不時着した。当時その海域は荒れており、水上の不時着には適していなかった。

また、その原因については、フライト19の失踪は、リーダーでありインストラクターでもあったテイラー中尉の一時的な精神の混乱と、その結果の誤った判断によって起こった。

つまり、離陸した際の天候は快晴だったが、後に天候は悪化。また、テイラー中尉が一時的なパニックに陥ったことによって、自分が飛んでいる場所を錯覚した可能性があったという。一方で、「白い水に突入」といういかにも別の空間に迷い込んだかのような交信記録はどこにもなかった。

ベルリッツは海軍の調査結果には触れることなく、実際にはなかった交信を創作することにより、謎の失踪を演出していたのだ。

ここでベルリッツを擁護するとすれば、この「白い水に突入」という通信について、アランW.エッカート(Allan W. Eckert )というアメリカの歴史小説家兼劇作家が “American Legion magazine”誌の1962年4月号で書いたのが初出だと思います。ベルリッツは、”歴史小説” を本当のことだと思い込んだということでしょうか。

言語学者の肩書きを持つベルリッツがこんなお粗末でずさんな本を書く。アメリカの肩書きは要注意ということでしょうか。日本のライターたちが好んで使う「肩書き」。情報の信頼性を示すために使うようですが、管理人の目からは肩書きを書くことで自分の記事の信頼性を高めようとする姑息な文章に出くわすと、ベルリッツと同じように「嘘の拡散」に寄与している記事・文献のように感じます。

ベルリッツの「バミューダ・トライアングル」を偽りだと検証した本が出版される

こうしたバミューダ・トライアングル伝説の事件の数々を検証した人物がいる。アリゾナ州立大学図書館司書だったローレンス・クシュ(Lawrence David Kusche)。クシュは、フライト19や来福丸など、ベルリッツが書いた36件の事件のうち少なくとも23件はねつ造もしくは脚色であることを暴露した。

クシュが著書『Bermuda triangle mystery solved』(日本語題『魔の三角海域』)を出版したのは、1975年のこと。ベルリッツの著書出版の一年後であった。

「バミューダ・トライアングルの伝説は要するに故意に作られたものである。それはまず、ずさんな調査に始まり、ついで誤った概念や間違った推理、あるいは人々の興味や関心を煽ろうとする作家たちによって、故意にあるいは無意識的に作られたものにすぎない。それが繰り返し語られたおかげで、真実めいたオーラを帯びてきたのである。」

ローレン・クシュ

メアリー・セレステ号事件の真相

船から人だけが消えたメアリー・セレステ号事件。こちらも公式記録が残っている。

船と貨物には保険がかけてあり、その保証を巡って裁判が行われたからである。証言台に立ったのは、メアリー・セレステ号を発見した船員や船の所有者。かれらは船の中で何を見たのか。正式な宣誓をした後に、当時の様子をこう証言した。

「私と2人の男がメアリー・セレステ号に乗り込みましたが、誰もいませんでした。」

では、テーブルに温かい食事はあったのか?

「船室にも調理室にも食事の準備をしている様子はありませんでした。」

「船室ではパンや食べ物などは見ませんでした。」

なんと、メアリー・セレステ号事件の最大の謎とも言える温かい食事はなかったというのだ。
では、救命ボートは残されたままだったのか?

「ボートはどこにも見当たりませんでした。だから、(救命ボートが)何隻あったのかも分かりません。」

救命ボートもなかった。とすると、使われた可能性がある、ということだ。

つまり、伝説で語られていることとは異なり、乗組員は何らかの理由で救命ボートに乗り、船を離れた可能性が高い、ということになる。

しかし、この裁判においても、なぜ乗組員たちが船を離れたのか理由は不明のままだった。ところが、裁判から10年後。メアリー・セレステ号が再び出港することになったとき、伝説が再燃する。1883年に書かれた新聞記事(1883/6/9 ロサンゼルス・タイムズ)。なぜいかにしてメアリー・セレステ号は無人になったのか?

調理室では静かに火が燃えていて、夕食は手つかずのまま残され、まだ温かかった。航海日誌は発見された1時間前に記入されたばかり。このように、船から乗組員が突然いなくなったと強調。さらに、「救命ボートもそのままだった」

乗組員が船から脱出した可能性がある事実までねじ曲げたのである。

メアリー・セレステ号は、実際の所、救命ボートがなくなっていたことから、乗組員がなぜ船から離れたのか分からない、という事件だった。それが、温かい食事や救命ボートが残されていたと脚色することによって、乗組員が船から突然消え失せた話に変わってしまったのだ。これがさらに広まったのは、有名な人物の関わりがあった。

それがコナンドイル。ドイルは事件の12年後、メアリー・セレステ号を元にした短編小説を発表。これを多くの読者が事実に基づいて書かれたものと信じたのだという。(コーンヒル・マガジン「 J・ハバフック・ジェフソンの証言(1884年)」)。

さらに謎は有名になってゆく。事件を元にした映画「ファントム・シップ(1935年)」まで作られたのだ。

なぜ、事実と異なるねじ曲がった伝説が生まれたのか。その経緯を調査した作家のボール・ベッグさんは、「メアリー・セレステ号事件というのは、非常に興味をかきたてられる事件でした。乗組員がなぜか船を捨てそのままいなくなってしまった。とても不可解な事件です。ただ、これだけでは少し面白みが欠けていました。人々はつまらない事実よりも面白い伝説やフィクションを好みます。そのため、歴史上に起きた多くの出来事を人々は誇張して伝えようとします。その結果、事実に対して尾ひれがつき、船が発見されたときには『温かい食事が残っていた』、『救命ボートが残っていた』といった要素が加えられて、面白い物語に変化していったのです。」

メアリー・セレステ号事件。いずれも、人知れず目撃者もない海で起きた事件。これを多少脚色して分からないだろうと人為的に膨らませた伝説だったのだ。

バミューダ諸島の海洋研究を行うバミューダ水中探査研究所にはこんな展示施設がある。

「バミューダ・トライアングル 謎の解明(Unlock the secrets)」。2018年2月にオープンしたばかり。バミューダ・トライアングルの情報を集めた世界初の施設だという。

チャールズ・ベルリッツって誰?

チャールズ・ベルリッツ(英語: Charles Berlitz、1914年11月20日 – 2003年12月18日[3])は、アメリカ合衆国の言語学者、作家、超常現象研究家。

ベルリッツ語学学校の創業者である言語学者のマキシミリアン・ベルリッツの孫にあたる人です。

こんなイカサマ本を書いて、おじいさんの業績に泥を塗った人物、かと思ったのですが、ベルリッツは彼なりに真剣に調べて本を書いたようです。問題は、根拠に使った資料・情報が偽物だったと言うことでしょう。

ベルリッツの本が図書館で見つからなかったので、英語版をネットからダウンロードして読んでみました。252ページの本です(1984年版)。(長文の英文を読むのはつらいので日本語に翻訳。方法は、過去記事「サイト翻訳を設置してみた」参照。)

翻訳画面は以下のようになります。あくまでもプレビュー上での閲覧なので、これを公開することはありません。

この本の初版は1974年。Google検索が登場したのは1997年のこと。時代背景を考えれば、ベルリッツが作文・創作をした部分があるとしても、あまり責められないように思います。責められるべきは、ネットで簡単に資料・情報が入手できるのに、未だに未解決の謎として記事を書いているライターたちです。

ベルリッツとクシュ

言語学者で超常現象研究家でもあるベルリッツが出版したイカサマ本が世界的ベストセラーになったことで、バミューダ・トライアングルの謎は広く世界に知られるようになりました。

これに対し、ベルリッツのイカサマ記事を暴露したクシュの本はそれほど知られていないように思います。

ここで、なぜ、クシュはベルリッツの本出版からわずか一年後に暴露本を出版したのか、あるいは なぜそんなに速くそれを書くことができたのか 、という疑問が沸きます。

ローレンス・クシュは、1940年11月1日、ウィスコンシン州ラシーンで生まれで、現在ご存命です。

航空に興味を持ったクシュは、1960年、19歳で商業パイロットの免許を取得し、21歳までに商業パイロット、24歳までにフライトインストラクター、計器インストラクターの資格を得ます。1964年、クシュはアリゾナ州立大学(ASU)を卒業後、民間の航空機関士になるためのトレーニングコースを修了しましたが、航空機関士の仕事に関心をなくし、アリゾナに戻り、高校の数学教師と司書になりました。その後、彼は図書館学の修士号を取得し、1969年6月にアリゾナ州立大学のヘイデン図書館(ASU Library)で研究図書館員(research librarian)として働き始めました。

日本の図書館司書は、利用者に対して館内の利用方法の説明や貸出・返却の対応をしたり、書籍などの資料を管理して、図書館の運営に中心的に携わっているようですが、アメリカの司書(research librarian)は、博物館の学芸員のような仕事をしているようです。

ASUの研究図書館員としてクシュは、論文を書いている学生からあらゆる種類の情報に関する問い合わせを受けました。

1970年代初頭、彼はバミューダ・トライアングルの謎に関連する多くの質問を受けたことから、この謎に興味を持つようになります。

これにより、クシュと仲間の司書であるDebbie Blouinは、主に公式の情報源から情報を請求するために何百通もの手紙を書き、情報の収集を開始しました。

当初、2人の図書館員は、取得したバミューダ・トライアングルに関する情報の参考文献を2ドルで販売しました。その後、クシュは、収集したすべての情報をだれかが本にまとめる必要があることに気づきました。

出版社ハーパーコリンズ社が参考文献のコピーをクシュに注文したとき、クシュは、自分が書いているテーマの本の出版に興味があるかどうかを尋ねるメモを同社に送りました。これがきっかけとなり、クシュの本が出版されることになります。

当初、バミューダ・トライアングルを取り巻く謎に興味をそそられたクシュの研究は、事実上すべての事件が嵐や事故によって引き起こされたのか、トライアングルの外で起こったのか、あるいは、まったく起こったという証拠が見つからなかった、と彼に確信させました。彼の結論は、「トライアングルの謎」は「作られた謎」であり、不十分な調査と報告、そして時折の意図的な事実の改ざんの結果であるというものでした。

クシュは当初、1945年12月5日に大西洋で姿を消したフォートローダーデール海軍航空基地からの訓練任務で離陸したフライト19、海軍アベンジャー雷撃機5機に関するバミューダトライアングルの本に長い章を割り当てました。

クシュは後にこの章を拡張して『フライト19の消失(The Disappearance of Flight 19)』という本にまとめました。

彼は海軍の調査報告を研究し、当時関与していた海軍要員の多くにインタビューし、行方不明の航空機が飛んだと考えられるルートを自分で飛行しました。当時、5機の雷撃機が失われたことは、トライアングルの不思議な力の犠牲者であると言われていました。

クシュは、フライトリーダーが自分がフロリダキーズにいると誤って考えた理由、コンパスが故障したと言った理由、そして残骸がまだ発見されていない理由を説明しました。2)

残念ながらバミューダ・トライアングルの謎は存在しない

「ベルリッツの書籍の記述がねつ造されたものだ」とクシュによって暴露されたとしても、もしかしたらベルリッツが紹介しなかった別の事例があるのではないか。バミューダ・トライアングルで起こる不可解な船舶の消失事件はベルリッツの書籍以前から存在していた。

不思議大好きな管理人は、そう思いたいのですが、そのような事例は存在しないことが分かっています。

えっ?、と思いますよね。

それを証明できるのが「海上保険」です

客船にしろ貨物船にしろ外航船は皆海上保険に加入しています。海上保険は船舶保険と貨物保険から構成されていて、貨物保険には貨物海上保険と運送保険があります。船主は、船と積み荷に保険をかけることで、万一の災害に備えます。この他に、乗組員に対しても生命保険がかけられているのでしょう。

「(海上保険は)近代的な保険としてイギリスで発展しました。17世紀の末(1688年)頃ロンドンのコーヒー店(エドワード・ロイド経営)に海運取引情報を交換し取引するために保険引受人が集まり、徐々にその人数を増加し会員組織の保険組合が結成されるに至ります。これがロイズ保険組合」です。 3)

1992年、イギリスのチャンネル4のテレビ番組でバミューダ・トライアングルが取り上げられ、ロンドンの海上保険ロイズに、異常数の船がバミューダに沈んでいるというのは真実か尋ねました。ロイズは、多数の船がそこに沈んでいないと答えています。さらにロイズは、このエリアを通過するために高い料金を請求しません。4)

船が行方不明になったり、不可解な沈没をすると、保険会社は徹底的にその原因を調べます。保険金目当ての偽装遭難・沈没事件がたびたび発生しているからです。

世界最大級で最古の保険市場であるロイズがバミューダ・トライアングルの謎を完全否定しているのですから、他の人が何を言おうともそれに説得力がありません。バミューダトライアングルの謎はすべてイカサマだったことがこれで証明されています。

 本記事の来訪者の方は、「バミューダトライアングル、生存者」というキーワードで訪問されている方が一定数います。たぶん、生存者の話を聞きたいという思いから検索しているのでしょうが、それはピント外れです。正しくは、「バミューダトライアングル、保険」で調べるべきでしょう。

 もっと多くの船がバミューダトライアングルで事故に遭っている、などのイカサマ主張は、海上保険会社の保険料で全面否定することが可能なのです。

おわりに

 バミューダ・トライアングルの謎もNHKの前にあえなく撃沈。

 NHKの取材力の凄さを感じます。それに比べ、民放のお粗末な番組は観る価値すら感じられない。

 謎をエンターテイメントとして捉え放映するのであれば、謎の解明のようなフェイクタイトルは避けるべきでしょう。雛壇に並ぶ芸人に支払う経費があるのなら、もっと真相に切り込む番組作りができるはずです。

 本記事を読んだ後で、ネット上で見かける記事を閲覧すると、記事ライター達がどうやってイカサマ記事を書いているのかが分かると思います。数十年前に書かれたイカサマ書籍の内容を再録している(コピーペしている)だけの記事です。それも、書籍も読まずに、どこかのサイトの記事を貼り付けているだけ。

 謎の解明は、やはりNHKしかできないようです。民放が芸人事務所とつるんで番組を作っている限り、おちゃらけ番組しか作れないのが実態でしょう。芸をしない芸人が視聴率を稼いでいると勘違いしているテレビ局がたくさんいます。これがテレビ離れの原因の一つではないかと思います。

 本当に謎の真相を知りたい人にとって、とても失礼な作り方です。おちゃらけを見たくて謎の解明と題する番組を観ているわけではありません。芸人は邪魔なだけ。 

ところで、NHKの元ネタは何?

 今回のNHKの番組があまりにも出来が良かったのでその元ネタを調べて見ました。

 番組内で使われている情報をほぼ全て網羅しているのが2013年4月20日付けの「Membongkar Misteri Segitiga Bermuda」という記事です。NHKの番組よりも5年前に公開された記事です。

 NHKがこのサイトの情報を使ったのかは定かではありませんが、参照したであろうと推測できます。

 

出典:
1) 幻解超常ファイル ダークサイド・ミステリー、”File-24 バミューダ・トライアングル&ヴォイニッチ手稿の謎”  2018年4月5日 NHK、BSプレミアム(再放送 2019年4月2日)
2)  Wikipedia, “Larry Kusche”
3) 外航貨物海上保険案内
4) Wikipedia, “Bermuda Triangle”