寶女王(たからのひめみこ)のイメージムービーを勝手に作ってみた:斉明天皇

 桜の季節なので、こんな動画を作ってみました。

 主題は「寶女王(たからのひめみこ):宝皇女」なのですが、今回はそれは置いといて、この記事ではこの動画をどうやって作ったのかだけご紹介します。

 元になる画像は、AI Art Generatorの「Night Café」というサイトで生成したものです。古代の女王というイメージで画像生成しました。

 この画像を使って、「Vidu AI」というサイトで動画を生成しました。このサイトでは無料でできるのは4秒間の動画のみ。このため、13個の別バージョンを作り、それを合成して1本の動画にしました。

 「Vidu AI」で生成した動画の画質が思いのほか悪かったため、「Topaz Video Enhance AI」を使って少し高解像度に修正しています。「Vidu AI」はもっと高画質の動画を生成できるのですが、そのためには3倍多くクレジットを使うため、高画質化は諦めました(改訂版では後半部分に高画質を使いました)。

 今回、「Vidu AI」の能力を確認したくて試してみたのですが、期待した以上の性能でした。

 動画の最後のコマのプロンプトは下のようになっています。

 Image1は「Night Café」で生成したもの。Image2は明治時代のメーテル、楠本高子さんの高画質画像を使っています。どうりで美人に仕上がるわけだ。

宝皇女の謎

 宝皇女は舒明天皇の皇后になります。ところが、宝皇女には舒明天皇と結婚する前に夫がいました。そして子供までも。

 舒明天皇には妃・側室は何人かいたでしょうが、皇后と呼ばれる人は一人しかいません。天皇の正妻が皇后と呼ばれます。つまり、宝皇女は、天皇の側室ではなく正妻だということが重要なポイントになります。

 宝皇女は高向王(用明天皇の孫)と結婚して、漢皇子を産みます。しかし、この二人のその後の消息は記録にありません。それを良いことに、歴史学者は二人を早々に死んだことにしてしまいます。

 なぜ、舒明天皇は、子持ちで未亡人(?)の宝皇女と結婚し、皇后としたのでしょうか。

 政略結婚か、はたまた大恋愛・不倫か? それとも略奪婚か?

 斉明天皇は日本書紀の中ではあまりよく書かれていません。斉明天皇が造らせた15Kmの運河について、庶民は「狂心渠(たぶれごころのみぞ)」と言っていると書かれています。

 日本書紀編纂を命じたのは斉明天皇の息子である天武天皇です。天武の母親のことを『日本書紀』に悪く書くなどあり得ません。取り立てて書かなくてもよかった、という選択肢もあったわけですから。この日本書紀の記述は、後世の人がある意図を持って書き加えたものでしょう。

 管理人が今回の動画を作ってみた理由は、「宝皇女絶世の美人説」のイメージを膨らませるためです。

 今回の動画の宝皇女は、とても魅力的に仕上がったと思います。こんな未亡人がいたら・・・。斉明天皇は宝皇女に三人の子供を産ませます。二人の間に最初に生まれたのが中大兄皇子です。この時、彼女は何歳だったのでしょうか。答えは、32歳です。この後、間人皇女(34~36歳頃出産)と大海人皇子(37歳頃出産か?)を産みます。こんな高齢で出産するのは、当時としては珍しかったのではないでしょうか。

 宝皇女が皇后になるのは630年のことで、彼女はこの時36歳です。たぶん、その翌年あたりに大海人皇子(後の天武天皇)が生まれたのでしょうが、天武天皇だけ記録がありません。死亡年齢が不明で生誕年が分からないのです。ところが、この死亡時年齢は「本朝皇胤紹運録」に書かれています。しかし、そこには落とし穴が仕掛けられています。そこだけ見ちゃダメだと言うことです。

 一説には、宝皇女の最初の夫は蘇我武蔵で、田村皇子(舒明天皇)が武蔵の妻である宝皇女を奪ったとされています。管理人はその出典を見たことがないので真偽の程は分かりません。政略結婚を目的とした略奪婚は考えにくい。略奪婚だとすると。その後、三人の子供が生まれていることに疑問を感じます。政略的な略奪婚ではない。やはり、宝皇女は相当魅力的な女性だったのではないかと考えました。

 雨乞いの祈祷をすれば大雨を降らす(642年9月3日:京極天皇元年8月1日)という優れた呪術師としての力を持ち、史上初の譲位、重祚を行い、15Km離れた石切場から砂岩を運搬するために運河を建設し、現代の飛鳥に残る酒船石を中心とした巨石祭祀施設群を建造し、巨石を使った国造りを推し進め、更に、唐・新羅に対し戦争を仕掛ける。こんなぶっ飛んだ天皇が他にいるでしょうか。

 これは単なる管理人の感想です。本当のことはだれにも分からない。管理人の妄想は続きます。

 もし、宝皇女が新羅に吸収された伽耶の王朝の末裔だとすると、話しは変わってきます。斉明天皇の半島出兵の目的は、百済復興のためではなく、「伽耶復興」にあったのではないか。

 宝皇女の前夫の謎と消息および田村皇子との再婚の謎、記録がない宝皇女の長男漢皇子の謎、出産年齢の謎、大海人皇子誕生年不詳の謎、(東北の)蝦夷の征服と須弥山石を使った接待、蝦夷の遣唐使同行、白村江出兵の謎、日本書紀に斉明天皇の悪口が収録された理由。これらは、別々の事象ではなく、一本のラインでつながっている。

 この謎解きの鍵を握るのが藤原氏。藤原鎌足(「中臣鎌足」)を祖とする氏族です。

 ・・・・、というコンセプトで記事を執筆中です。いつ仕上がるか見当も付きません。関心のある方はちょくちょくサイトをのぞきに来てもらえるとうれしいです。

 

長いバージョンの動画をもっと見たい方のために

 今回の動画は結構気に入っています。しかし、途中で終わった感じなのでもっと長いバージョンを見たい。そこで、エンドレスでBGMとしても楽しめるような6分45秒バージョンを作りました。

 限定公開なので、下のリンクからしか閲覧できません。じっくりとお楽しみください。高画質版を追加しています。