『東方見聞録』って何?|あまりにも奥が深い謎

 平泉の歴史を調べていたら、『東方見聞録』にはまってしまった。

 『東方見聞録』のことを知らない日本人はいないのではないでしょうか。読んだことがあるかは別として、ほとんどの日本人が知っている『東方見聞録』という古書。14世紀初頭に書かれた旅行記です。原版は、古フランス語で書かれているようです。

 管理人の頭の中では、チョーサーの「カンタベリー物語」が、読んだことのある同時代の書物として頭をよぎります。チョーサーは、当時イングランドの支配者であったノルマン人貴族の言葉であったフランス語を使わず、世俗の言葉である中英語を使って物語を執筆した最初の文人とされています。

 逆に、『東方見聞録』がなぜ、古フランス語で書かれたのかがこれで分かります。

 ちなみに、コロンブスがアメリカ大陸を発見した航海に持参したのは東方見聞録のラテン語版なのだそうです。 

東方見聞録
マルコ=ポーロの旅行記。1271年から1295年にかけての中央アジア・中国への旅行の体験談を、物語作者ルスティケロが筆録したもの。日本を黄金の国ジパングとして紹介。

[補説]原本が散逸しており、原題は不明。「世界の記述(叙述)」「驚異の書」の邦題もある。
出典:goo辞書

 黄金の国ジパングとは奥州平泉のことを示しているらしいと多くの書物やサイトで書かれています。その根拠として、マルコ・ポーロの『東方見聞録』に書かれているからとされています。

 そこで、早速、マルコ・ポーロの『東方見聞録』を調べてみます。すると、「えっ、どこに書かれているの?」と戸惑ってしまいました。

 14世紀初頭に書かれたとされる『東方見聞録』は奥が深い! 管理人の手には負えないほど奥が深い。

 管理人が調べたのは『Le Devisement du monde』というフランス語の『東方見聞録』です。1556年に出版されたものです。

 マルコ・ポーロの『東方見聞録』の中で『黄金の国ジパング』について書かれているのは、全4巻のうちの第3巻。そこで、上記サイトで第3巻を調べます。

 ここに書かれているものと信じていたのですが、書かれている内容が違う!

あれれ! 何これ?

 管理人の関心は、単に原文ではどのように書かれているのかを確認したかっただけなのですが、この原文では、日本で知られている内容とは全然違ったことが書かれている。

 そもそもジパングの位置が違う。原文では中国から500リーグと書かれていますが、日本語の東方見聞録では、ジパングは中国の東の海上1500マイルに浮かぶ独立した島国、と書かれているとされています。

 でも、フランス語版にはジパングについての記述のある章にそんな記述は見当たらない。

 距離は500リーグとあるけれど、当時のリーグは何キロなのか分からない。

 東方見聞録とは、「1271~95年の小アジアから中国にいたる内陸アジア,中国の各地方,および華南から海路ペルシア湾にいたる彼の旅行の見聞を口述してルスティケッロ・ダ・ピサが記した書物」(コンバンク)であり、当時は、地球が丸いとは誰も考えていない時代のこと。

 当然、地球が丸いことを前提とする子午線の概念もありません。従って、緯度を基準とする海里(リーグ)の考え方も近年とはまったく違うはずです。

 そもそも『東方見聞録』という書籍の名称も日本で勝手に付けられたもので、実際の本の名称は分からないらしい。

 まさに、何だこれ? の世界です。

 この本は人気が出たことから、イタリア語だけでなく、フランス語、ラテン語、英語など様々な言語に翻訳されたようです。しかし、書かれている内容が違うらしい。つまり、版によって原典にないことを勝手に書き加えているか、あるいは、原典にあったものを忠実に書いているのかよく分からないらしい。

 頼りのWikipediaの記述も中身がすっからかんです。問題点の指摘すらしていない、まさにWikipediaで”スタブ”とも呼ばれる機械で生成したゴミWikiのような内容になっています。

 ネットで見かける記事の中に、ジパングの位置を中国から1500km東と書いているサイトもあります。たぶん、どこかの書物にそのような記述があったのかも知れません。

 1200年代のヴェネツィア共和国のリーグの考え方はどのようになっているのでしょうか。ネットで探しても簡単には見つかりそうがありません。

 今回、疑問に感じたことは、『マルコ・ポーロの『東方見聞録』に書かれているジパングとは奥州平泉の黄金文化に由来する』というどこにでも書かれていることが、原典らしき書物で確認できなかったことです。

 日本語訳された『東方見聞録』がどの原典を採用しているのか分かりませんが、もしかしたら、日本人だけが知っている(誤解している)『東方見聞録』になっているかも知れません。それは、Wikipedia日本語版の内容がボロボロなのが証かも知れません。

 少し調べてみようかと思ったのですが、『東方見聞録』には謎が多く、管理人の手には負えないことが分かりました。

 何も考えずに、『東方見聞録』のジパングとは日本のことで、そこに記されている黄金都市は平泉を指すらしい、と書くのが現時点では正解かも。かなり危ない思考と感じますが。

そもそも論の所でつまずくく

 東方見聞録は、13世紀後半のアジア・中国の現状を初めてヨーロッパに伝えた旅行記として、”ヨーロッパでは”人気を博しました。

 その書物の中に、日本とおぼしき『ジパング』についての記述が第3巻のかなりの分量を占めています。

 それはそれとして、管理人が疑問に感じることは、そんなヨーロッパの怪しい旅行記ではなく、お隣の中国の文献に書かれていないのだろうかということです。

 そもそも、マルコ・ポーロは日本には来ていません。最も近づいたのは杭州までです。

 ジパングが日本のことだと仮定すれば、そんな黄金ザクザクの魅力的な国について当時の中国の文献にも書かれているはずです。しかし、誰も確認できない。マルコ・ポーロについても中国の文献では確認できないようです。

 東方見聞録は日本のことが書かれてる、と考えているのは日本人だけかも。Wikipediaの各国語版を閲覧しても、日本についての記述はほとんど見かけません。

 このことは、『東方見聞録』は、中国・東アジアについての資料に乏しかった当時のヨーロッパでは注目を浴び、大航海時代には、黄金の国ジパングを探すことに関心が集まったのかも知れませんが、現代のヨーロッパの人たちは、『東方見聞録』にはまったく関心がないようです。なにしろ、フランス語版のWikipediaの『東方見聞録』の項目がありません。スペイン語、ポルトガル語版でも、日本についての記述はありません。

 『東方見聞録』第3巻に書かれている「ジパング」について、それは日本ではないとの異論もあるようですが、誰が異論を唱えているのか確認できません。当時、大量の金を産出し、それを活用していた国は日本と考えるのが無理のない推論でしょう。これに異論を唱える人は、ジパングとはどこの国と比定しているのでしょうか。