あなたは墜落しそうな飛行機に乗っています。あなたは隣に座っている人に何と言いますか?

 海外出張が多く、何度も太平洋を渡ったことのある管理人にとって、「飛行機は怖いもの」です。

 気にしなければ何のことはないのに、一度気になり出すと不安が増すばかり。墜落したらどうしよう!

 一度、パニックに陥ったことがあります。成田を離陸直後から不安感が募り、心臓はバクバク。とても気持ち悪くなりました。水平飛行に移ってから、たまらずトイレに。

 この経験は、管理人にとってトラウマになっています。このため、飛行機に乗ったら、離陸前から眠るようにしました。もちろん、眠れるわけがないのですが、一種のおまじないのようなものです。

 飛行機には数え切れないほど乗っているのですが、一度も墜落したことはありません(笑)。

“Quora”に投稿された質問

「あなたは墜落しそうな飛行機に乗っています、あなたはあなたの隣に座っている人に何と言いますか?」

 ”You’re on a plane that’s about to crash, what do you say to the person sitting next to you?”

You're on a plane that's about to crash, what do you say to the person sitting next to you?
Answer (1 of 77): I was on a United Flight from LA to Lihue, Hawaii (over the ocean), when an emergency was declared. Th...

 これに対する回答はともかくとして、飛行機の墜落って、死ぬまでに時間があるということをあらためて知りました。

 管理人は自動車事故に二度遭ったことがあります。この事故では、隣の人に話をするなど考えられない。まさに、あっという間の事故です。これらの事故は誰か死んでもおかしくない程のものでしたが、幸いにも同乗者は軽症で済みました。

 飛行機が墜落するような危険な場面には遭遇したことはないのですが、実は知り合いに墜落事故に遭った人がいるから怖いのです。

 それは、出張中、セスナ機で離陸しようとしたら離陸に失敗し墜落。

 パイロットは真っ先に逃げ出したそうです。爆発するかも知れないから。

 爆発の恐れがないことを確認してからパイロットが近づいてきて、直ぐに逃げろと言ったとか。

 その人は、軽い怪我ですんだようですが、一歩間違えば死んでいました。

 さて、質問のような場面に遭遇したとき、管理人なら隣の人とどう話すのでしょうか。

 低空を飛行するセスナの場合、残された時間は数十秒。たぶん、隣の人と話すという発想も浮かばず、パニックのまま最後を迎えるでしょう。

 大型旅客機で、1万メートルを飛行する旅客機の場合は違うかも知れません。

 たぶん、状況が飲み込めず、もしかしたら助かるかも、と考えているかも知れません。そんなはずないのに。

 管理人の経験から考えるに、この質問に対する最適解は、

 「大丈夫ですよ。問題ありません。こんなことはよく起きることです。大丈夫です。」と言いながら死んでいく。

 たぶん、どんなに信心深い人でも、「神様が守ってくださいます」という隣席の人の話は聞きたくないと思います。それよりも、「以前もこんな事を経験しましたが助かりました。大丈夫ですよ」という言葉の方が、隣人に語る言葉としては適しているかも。

 でも、その最適解を知るすべはありません。みんな死んでしまうからです。

 この質問をされた方は、軽い気持ちで書かれたのでしょう。しかし、世の中には、飛行機事故で肉親・友人を失った方がたくさんいます。

 「こんな質問をするなんて無神経すぎる」と騒ぎ立てるのではなく、飛行機事故に対する関心を高めのことに貢献していると評価できます。

 「こんな質問をするなんて無神経すぎる」というコメントは、何ら生産的なことは生み出さず、むしろ、憎悪を惹起します。

 そう考えるのではなく、航空機事故に対する世論の関心を高める質問、と捉えることで、何らかの社会的メリットがあるように思います。

 このとても短いシンプルな質問に対し、閲覧した人はその体験を背景に様々な気持ちを持つのでしょう。そんな質問はすべきではない、というコメントは最悪です。なんの役にも立たないコメント。

 やはり、亡くなった方に対する慰霊の念を込めたコメントが適しているのかも知れません。

 隣席の人に「生命保険、いくら入っています?」

 というコメントは、パロディの世界ではありかも。

 どんな困難な状況に陥っても笑い飛ばすことが本当は大切なことなのかも知れません。

 亡くなった方に寄り添い、その死の瞬間を感じることで死者の慰霊になると勘違いしている人もいるようです。

 なぜ勘違いなのか?

 答えは簡単です。亡くなった方は、そんなことは望んでいないからです。

相談する人は相談される側のストレスには無頓着

 管理人は、よく人から相談を受けるタイプの人間のようです。

 相談した人は、人に話すことでストレスを解消できるようです。そして、かれらは、相談した人のストレスにはまったく無頓着という特徴があります。

 本サイトでは、ショッキングな事故を取り上げた記事を配信したことがあります。その記事に対し、遺族の方からコメントを頂いたこともあります。非公開ですが。しかし、その事に対する管理人のストレスは尋常ではありません。記事を削除しようかと思ったほどです。

 遺族の方の悲しみは管理人の心からあふれ出るほど伝わります。だから、管理人の心が持たない!

 たぶん、コメントを書かれた方はそんなこととは知らないはず。だから腹立たしく感じました。このストレスは何なのだろうとイラだちます。報われないストレス。

 心に余裕のある、あるいは、物事を平面的に捉えるレベルの青年時代であれば、そのような悩み相談にも問題なく応じていた管理人ですが、今は、・・無理。

 年をとると共に人の考え方、その多様性が分かってくると、深刻な相談に対応できるキャパが管理人には残されていないことに気づきます。

 「遺族の方の心に寄り添う」という文言をヘラヘラと書いている人間は、偽物です。「遺族の方の心に寄り添う」ようなことを本気でやると、自分の心が壊れてしまいます。これこそが、真に寄り添っている証かも。

 しかし、それは完全に間違っています。

 「遺族の方の心に寄り添う」という意味は、遺族の側から見て満足できる対応だということです。寄り添う側からの気持ちなど何の意味もありません。そんなことをかれらは知らないし、知ろうとも思っていない。つまり、その気持ちの受け手が評価しなければ、何の意味もないということです。

 ストーリー的には、「後になって理解し、感謝した」という美しい話にしたくなりますが、現実は、そのようなことはない。