ミイラとアスファルトと薬と縄文土器

 ミイラと聞くとまず思い浮かべるのが古代エジプト・ファラオのミイラです。

 ミイラという言葉の語源は、アスファルトや桃を意味するアラビア語に由来しています。

 ファラオのミイラにはアスファルトの防腐効果を期待し、アスファルトが遺体に塗られたようです。

 そして、彼らの遺体は、近世になって、粉末にされ、薬として利用されました。古代の墳墓からミイラを盗掘する理由は、薬として売りさばくためだったのです。

 ところで、なぜ、ミイラの粉末が薬として重宝されたのか。それは、アスファルトにありました。アスファルトは、古来から薬として使われてきたようです。天然アスファルトを産出する国・地域はとても限定されています。古代エジプトでは、死海でとれるアスファルトが使われたようです。

 石油の産出とは無縁の日本では、アスファルトを使うことはなかった?

 実は、日本でも縄文時代からアスファルトが使われてきました。

 まず驚くのは、日本で天然アスファルトって産出するの?、というもの。次に、何に使ったの?、という疑問です。

 その答えですが、まず、日本における天然アスファルトの産地は、北部日本海側。そうです。日本で産油井のある新潟と秋田、そして、北海道南部に集中しています。

 古代の日本で、天然アスファルトは何に使ったのでしょうか?

 その答えは、接着剤です。発掘されたたくさんの土偶からアスファルトを用いて接着した痕跡が見つかっています。

 一般に、土偶は破壊された状態で出土することから、土偶を故意に破壊して再生を願う「土偶破壊説」が唱えられてきました。ところが、アスファルトを使った土偶の接合率は三割を超えることを「アスファルト研究会」が明らかにして、これまでの「土偶破壊説」に否定的な見解が示されました。

 貴重なアスファルトを使って土偶を修復した痕跡が確認できる。「土偶破壊説」は間違っていたのか。その結論を我々が知るのは、まだまだ先のことでしょう。

 冒頭のミイラの語源の部分で、アスファルトと桃と書きました。古代の遺跡の発掘で重要となるのが「桃」。纒向遺跡から大量の桃の種が発掘されたことにより、纒向遺跡が邪馬台国かも、という仮説が勢いづいています。

 ここで大きな疑問が沸きます。古代の日本人は、アスファルトを接着剤としてだけ使っていたのか? という素朴な疑問です。

 貴重なアスファルト。接着剤としてよりも、むしろ、薬として使っていたのではないかと推測できます。

 日本人の食材に対する貪欲な探究心には驚かされます。外国では見向きもされないモノを日本人は食材としてきました。キノコがその筆頭でしょう。一歩間違えれば死につながるキノコの試食。同じことが海産物でも言えます。ホヤやナマコなど、最初に食べた人の気が知れない。ほとんど命がけで食べてみたではないでしょうか。ということは、それしか食べるものがなかった。そういう時代だったのでしょう。

 古代人の最大の関心は、病気になったときの薬。日本でほとんどとれない貴重な天然アスファルトは、やはり、薬として使われていたのではないかと推測できます。ナマコを食べてみるよりアスファルトを舐めてみる方がハードルが低いでしょう。

 しかし、アスファルトを薬として使う習慣は、日本では廃れていきます。そもそも、天然アスファルトが枯渇したのが理由かも知れません。

 日本では、接着剤として漆(うるし)が使われるようになります。その産地は北日本。縄文文化圏で、アスファルトから漆にシフトしていったのかも知れません。

 この記事のタイトル「ミイラとアスファルトと薬と縄文土器」。その意味を納得頂けだでしょうか。

 ミイラ、縄文土器、漆、などのつながりに関心を持たれた方は、サイト内検索から探してみて下さい。たくさんあるのですが、金色堂あたりの記事が面白いかも。

 

参考

シンポジウム「えっ!縄文時代にアスファルト」-縄文の生産と流通~東北日本のアスファルト-参加記」、文化遺産の世界、2018年2月8日

“Mumijų istorijos”, Dario Piombino-Mascali,