歴代天皇の生没年について、ちょっと考えてみました。
問題となるのが、古代の天皇です。
古事記に天皇の薨去の日付けがある全13天皇の薨去日を日本書紀の日付けと比較すると以下のようになります。
これをグラフにすると以下のようになります。
かなり直線に乗っています。しかし、21代雄略天皇では差異が見られます。この差異の部分を徐々に除去していくと、ある直線が見えてきます。
19 允恭 – 33 推古、2点間を通る一次式は次の式になります。
Y = 1.00562795742875X – 10985.36 47325148
ここで、管理人が着目するのは、、『Y切片』です。
– 10985.36 47325148 というY切片の意味です。これを1年の長さ、365.24219日で割ると、
「30.07691965」、つまり、30という切れに良い数字になります。
ここでのY切片の意味は、古事記が0年の場合の日本書紀の年数となります。それが 「-30(万日)」ということです。
このような試算をやっている人は分かることですが、この「30」という数値はたまたまそうなった訳ではないということです。こんなにきれいな整数値は通常、出現しません。
これが何を意味しているのか。
古事記と日本書紀とでは年代にずれがある場合があります。古事記と日本書紀の編纂者は、今回の分析から、意図的に30万日ずらすことにしたと考えて良さそうです。約822年に相当する改ざんです。
古事記と日本書紀の編纂者にとって、どうやったら古代の年数を記載できるかが悩みの種だったでしょう。そもそも、暦も文字もないのに、古代天皇が何年に即位したのかなど分かるはずもありません。しかし、中国に対して虚勢を張るため、日本はとても古くから天皇制があったと主張する必要があります。虚勢を張る相手は中国なので、中国の文献を入念にチェックして、その記述と齟齬のないように編纂する。
上のグラフを見れば、記紀執筆者は闇雲に古代天皇の崩御の年代を書いたのではなく、一定の数学的ルールに則って記載していることが分かります。回帰式が単回帰できることでそれを証明しています。
ここまで分かると、雄略天皇など特定の天皇がなぜ、回帰式から外れているのか、という疑問が生じます。
本サイトでは、分析はここまで。どなたか、回帰式から外れている個々の天皇について、記紀執筆者の視点に立ってその理由を考えていただけるとうれしいです。
なお、グラフの傾きは、「1.00562795742875」とほぼ45度。古事記と日本書紀とでほぼ正比例であることを示しています。だから、「Y切片」の違いが重要となるのです。
「古事記」と「日本書紀」
「古事記」と「日本書紀」の違いについて、表にまとめました。年代については諸説あるようで、この表が正しいとは限りません。
特に不明なのが古事記の編纂開始年。諸説あるようです。一応、日本書紀と同じにしました。
あとがき
このグラフは2年前に作成したものです。当時はノリノリで作ったのですが、今見ると数式が難しくて理解が追いつかない。自分で作ったのに分からない。この表の意味を理解するにはもう少し時間が必要です。
この表がお蔵入りになった理由は、古事記・日本書紀を読んでも天皇の崩御年の記述が確認できなかったことです。さらに、その根拠が書かれている購入した書籍を紛失した。今回、書籍が見つかったのでこの記事をアップしました。
暦についてはとても複雑なので、暦についてノリノリで記事を書いていたときに記事を完全に仕上げる必要性を痛感しました。こんなグラフ、どうやって作ったのだろう、と思います。シリウス日をどうやって計算した? たしか、算定式をエクセルで作った記憶があるのですが。バックデータは全てあるので、思い出すことにします。