世界の不思議に関心のある方で雑誌『ムー』を知らない人はいないでしょう。雑誌『ムー』は1979年(昭和54年)に学習研究社(現・学研ホールディングス)より創刊され、現在まで続いている数少ないミステリー・オカルト雑誌です。
実は管理人は、雑誌『ムー』を創刊当時から愛読していました。ムーに書かれている内容にワクワクしたことを覚えています。海外赴任をしていたときも日本からムーを取り寄せていたほどのムー好きでした。
しかし、あるときから、雑誌『ムー』の購入をやめてしまいました。その理由は、レベルが低すぎることに気づいたからです。
十数年にわたり『ムー』を購入して読んでいても、謎の一つも解決しないという不思議。なんの役にも立たない雑誌。
世界の謎がとても不思議と思って『ムー』を読んでいても、『ムー』はたったひとつの謎さえ解決できない。
これに対し、NHKの謎解きの番組『ダークサイドミステリー 』は、『ムー』とは異なり、出典の根拠を忠実にステークホルダーに取材しています。このため、『ムー』で主張されていた謎が木っ端微塵に粉砕されています。
『ムー』を長年購入してワクワクした自分は何だったのかと思い知らされる瞬間です。
雑誌『ムー』は、ネットが発達していなかった時代には、世界の不思議を発信するメディアとしてそれなりの価値があったと思います。しかし、現代では、その価値は薄れています。結局は、ムーに投稿する執筆者のレベルが低いと言うことでしょう。
世界的に謎が解明されているにもかかわらず、数十年前の記事を引っ張り出して、いつまでも謎だと主張されても困ります。そんなものはとっくに解決しているようなことまで謎だと繰り返す主張にはうんざりです。
これに対しNHKの番組では、情報の発信者に直接取材し、その真偽を当事者の発言として伝えています。雑誌『ムー』のいかさまライターの嘘が暴かれる瞬間です。
結局、『ムー』のライターたちは、謎の解明など関心がないのでしょう。いかにセンセーショナルなことを書くかにのみ関心があるように感じます。
その理由は、問題解決の手法です。NHKの番組では、情報の発信者に直接インタビューをして、そこから真偽を確認する手法を採っています。
一方、『ムー』のライターは、その情報を確認するまでの過程にほとんどの労力を費やし、結果として、中身のない確認内容で終わっています。この人たちは、元々、謎の解明などする気がないのでしょう。センセーショナルな記事を書くことだけが関心の的。ノンフィクション作家の方々とはまったく異質な人たちです。
本サイトで様々な謎の解明記事を書いています。それらの記事で『ムー』を引用したことは一度もありません。その理由は、レベルが低すぎるからです。さらに、ムーに書かれている出典が確認できない(笑)。とても怪しい内容です。
雑誌『ムー』の第5代目編集長、三上丈晴氏については、個人的には大好きなキャラの方です。できれば、実証主義の意味を理解している新鋭のライターの方の起用が望まれます。そのような方はたくさんいると思うのですが、『ムー』のライターはどうすればセンセーショナルな内容になるかといったことに関心のある古いタイプの人たちで汚染されているように感じます。
明確な出典も示さず、学研が謎についての雑誌を発行し続けることは、ある意味、社会正義に反しています。社会をミスリードすることにもつながります。ネット上のいかさま記事に書かれている出典は、たどり着くことができません。そんなものは存在しないからです。
発掘された、出土した、専門家が論文で発表した、・・・などの記述に、その出典は一切書かれていないのが『ムー』の伝統。こんなことなら、いくらでもデタラメが書けます。イギリスの日刊タブロイド紙「ザ・サン(The Sun)」を引用すれば、何でもありです。宇宙人でも生母マリア出現でも(笑)。
雑誌『ムー』は、日本の貴重な宝、と管理人は考えます。『ムー』を今後存続していくためには、出典を示さないことで謎を増やすという旧来の手法を採る昔のライターをすべて排除し、新しい実力のあるライターに入れ替えるべきでしょう。
NHKが放映する歴史の謎解き番組は、圧倒的な破壊力を持っていると感じます。これまで歴史学者が定説ではこうですと無頓着に説明してきた歴史上の事柄を、その解釈は違うかも知れない、と考え直すきっかけになるだけでも素晴らしいこと。
バラエティ番組だからと言い訳していい加減な番組づくりをする民放とはまったく違います。
これまで語られてこなかった歴史上の謎に鋭いメスを入れる番組の切り口。こんな切り口があったのかと驚くこともしばしば。
NHKの番組制作担当者の中に、歴史とは異分野の経歴を持つ方がいるのだろうと想像できます。なぜなら、歴史に詳しい人たちのレベルは、歴史の疑問についてのネットの回答者のレベルだからです。つまり、過去の研究に頼らなければ何ら歴史の話ができない人なのでしょう。
たとえば、大坂城の石垣で最大のものとされる「蛸石」は重さ100トン以上あるとされています。
それが、どうやって切り出され、どうやって運ばれ、どうやって石垣として組まれたのか説明できない。
船で運んだとか、船に乗せる(海中に吊す)のに潮の干満を利用したとか、推論はいくらでもできますが、問題は、100トンもの石をどうやって渚(なぎさ)まで運んだのかと言うことです。
潮の干満を利用するのであれば、そこは砂浜と考えられます。しかし、砂浜には、100トンの石を支えるだけの地耐力がありません。これについては、誰も説明していない謎です。管理人にはどうやったのかは分かりますが。