日本のお米は美味しいけど、その米が買えなくなったらどうする?

 海外に長期滞在していると、その国に根を下ろし、数十年暮らしている日本人の方々と知り合いになります。

 そして、彼らとよく出会うのが、現地の「日本料理店」です。

 なぜ、長年その国に住んでいる日本人が、わざわざ高価な日本料理店を頻繁に訪れるのか。

 管理人にとって不思議だったのですが、年をとるにしたがい彼らの気持ちが分かるようになりました。

 それは、巷で言われるような「歳を重ねるにつれ生まれ育った味覚が甦ってくる」、という面も確かにあると思います。

 以前は、そのように考えていました。

 しかし、それは、本当なのでしょうか。

お米に飽きたという人がいない不思議

 現代の日本人は、三食お米を食べているわけではありません。ラーメンやうどん、ピザやスパゲティを食べることもあります。もちろん、朝食はいつもパンと決めている人もいるでしょう。

 しかし、それは、お米に飽きたからではありません。別のものもたまには食べてみたい、という欲求から生じているように感じます。

 その証拠に、三食、うどんを食べると、もう、しばらくうどんは食べたくない、と感じます。ラーメンでも同様でしょう。もちろん、ラーメン好きの方は三食ラーメンでも問題ないと豪語するでしょうが、何となく短命に終わるのではないかと心配します。ラーメン界の人たちって、なぜか短命ですよね。

 ラーメン、うどん、スパゲティなどは、すべて小麦を原料としています。米や小麦以外の穀物を主食としている人っているのか思いますが、トウモロコシをお忘れです。さらに、豆をたくさん食べる国民もいます。

 中南米では、トルティージャなどトウモロコシを主成分とする食物を摂取しています。

主食って何?

 ここで、主食という概念が問題となります。管理人が海外に初めて赴任する際、赴任国の主食は何かと聞いたら、日本のような主食という概念はない、という回答でした。

 日本の主食は? と問われれば、誰もが「お米」と答えます。しかし、海外の多くの国では、この主食という概念は存在しないようです。

 日本人がイメージする主食とは、まさに「お米」をベースに考えた概念です。たとえば、ボリビアでは、皿の上に大きなジャガイモが2個、少しのお米、茹でたマカロニ、そして、肉とほんの少しの野菜という料理をよく目にします。

 これで、主食は? と問われても困りますよね。炭水化物の量ではジャガイモだけど、これが主食とは言えない。

 結局、日本人が考える「主食」という概念は、「お米」を前提とした日本人の発想のように感じます。もちろん、英語に “staple food” があるので、主食という概念が外国には存在しないなどと言うつもりは毛頭ありません。

 さて、「お米」という主題に戻りましょう。

 あなたは、外国のお米を食べたことがありますか?

 お米には、大きく分けて3種類あり、ジャポニカ種、インディカ種、ジャバニカ種に分類されるようです。

 日本米のような丸いお米が「 ジャポニカ種」、タイ米などの長いお米が 「 インディカ種 」、そして、アジアの熱帯高地・アメリカ・ブラジル・イタリア・スペインやアフリカなどに多い「 ジャバニカ種 」。

 タイのお米は 「 インディカ種 」 で、見れば直ぐ分かるように長い穀粒をしています。そして日本人にとって、このお米はとても不味く感じます。粘りけがなく、パサパサしているからです。

タイ米

 ところが、タイでこのお米を食べると、結構美味しい。要は、食材の性質に合わせて調理方法が確立しているので、タイ米を日本の炊飯器で調理するようにはできていないと言うことです。

 さらに、タイ・ラオスでは、モチ米を食べます。これが恐ろしく美味しい!

 管理人は、ラオスの田舎で、このモチ米にはまってしまいました。とにかく美味しい。

 竹カゴに入れたモチ米を、一口大の量を手にとって握り、川エビと唐辛子のペーストに付けて食べるのですが、これが本当に美味しい。名前は「カオニャオ」というようです。ところが、これはラオスのレストランでは注文できません。田舎の家庭料理だからなのだそうです。あまりにも家庭料理過ぎてレストランのメニューにはできないようです。

 これを作るところを見ていたのですが、モチ米は蒸すのではなく、多量の水で茹でる。そして、茹で上がる頃に余分なお湯を捨てる。何ともシンプルな調理法でした。

 これを日本でやってみたのですが、うまくいかない。もっとしっかり聞いておけばよかったと後悔しています。

 中米では、やはりトルティージャ。この作り方も聞いたのですが、自分でやってみるとなかなかふっくらとは仕上がらない。「マサ」と呼ばれるトウモロコシの粉(たぶん、粗挽き)を使うのですが、日本ではこれが入手できません。日本で買えるのは、高純度に精製したもので、とてもきめが細かい。現地のマサはこんな品質ではありません。このため、日本で買ったマサを使うとまったく違った味のトルティージャになります。

なぜ、毎食食べてもお米は飽きないのか? 

 外国には日本人が考える「主食」という概念が希薄だと思います。外国という言葉を聞くと、すぐにヨーロッパやアメリカを連想する人たちがいますが、それはちょっと視野が狭いかも。

外国人も、パンもめん類も、米もジャガイモもマメも食べます。しかし、どれが主食かと聞かれると、答えに窮するのではないでしょうか。多くの場合、「いろいろ食べるよ」、という答えが返ってきます。

 しかし、日本人に主食は何と聞けば、「お米」と答えます。へそ曲がりの人は放っておくとして、ほぼ日本人全員が、主食は「お米」と答えます。

 もちろん、日本人でも、パンもめん類も食べているにもかかわらず、主食は? という問いには、「お米」と答えます。

 なぜなのでしょうか。

外国人には分からない日本人の精神文化

 管理人が大学生の時、マレーシアからの留学生がいました。彼らと昼食を食べていた時、そのマレーシアの留学生が、ご飯の上に箸を突き刺しました。

 管理人は不快に感じたのですが、一緒にいた同級生達の反応に驚きました。同級生達は、即座に留学生のこの行動を厳しく諫めたのです。外人にそこまで言わなくてもと思うほどに。

 同級生達は日本全国から来ています。そして、この時に感じたのは、ご飯に箸を突き立てる行為は、日本全国共通のやってはいけない行為なのだということでした。

 留学生は、「日本人はめんどくさい」と言っていましたが、彼の行動は、その場にいた5、6名の日本人学生全員を不快に感じさせる行動だったのです。

 たった、ご飯に箸を突き刺しただけなのに!

 なぜ、日本人学生は留学生のこの行動を著しく不快に感じたのでしょうか。それは、決してやってはいけない行為として子供の頃から教え込まれていたからです。

 お墓の前でご飯をお供えする時だけに許されるご飯に箸を突き刺す行為(地域によって違いがあると思います)。

 もし、こんな行為を恋人がやったなら、百年の恋も一瞬で冷めてしまうでしょう。もし、配偶者がやったとしたら、配偶者の育ちに疑問を感じるでしょう。たぶん、離婚はそう遠くはない。

 なぜ、日本人は、こんな些細なことに目くじらを立てるのでしょうか。

 ほとんどの日本人は、その理由を説明できない。単に、仏前に供える時のやり方だよ、と言う程度でしょう。これでは、外国人は納得できません。しかし、日本人には、この行為はとても不快で、決して許すことはできない。その理由を説明できなくとも。というか、日本人なら、絶対にやらない行為です。

 線香は香炉に立てるのに、ご飯に箸を立てるのはなぜだめなの? こんなことをすると、日本人はなぜ、目くじらを立てて怒り出すのか? 外国人が理解できないことでしょうね。

 お米を大切にする日本文化が理解できないと分からない習慣なのでしょう。

 ご飯を食べる時、お茶碗に米粒を一つも残さず食べる。これが普通の日本人の感覚です。逆に、ご飯粒がお茶碗にびっしり残るような汚い食べ方をする人を軽蔑します。

 これは、日本社会では絶対にやってはいけない行為でしょう。息子のつきあっている彼女がこんな食べ方をしたとしたら、あなたはどう思いますか。「お里が知れる」と思うのではないでしょうか。人間として最低限の教育すら受けていない娘、と思うでしょう。

 では、なぜ、そう思うのか聞きたい。たったこんな些細なことに目くじらを立てるなんて度量が小さすぎる。・・・などと言われたら、猛反発するのが日本人です。なんと言われても、これは絶対に許せないからです。

お百姓さんが丹精込めて作ったお米には違和感

 親から言われたのは、お百姓さんが丹精込めて作ったものだから一粒も残してはダメだよ、というもの。

 幼心に、これには疑問を感じていました。確かに、お百姓さんは丹精込めてつくったかも知れないけれど、それはお金を払って買ったもの。お百姓さんから恵んでもらったわけではない。生活に困っても、お百姓さんが助けてくれるわけもありません。むしろ、お父さんが一所懸命働いたからこのお米を買えたのだから一粒残さず食べなさい、というのなら理解できますが、そんな話は聞いたことがありません。商取引の関係にあるお百姓さんがなぜ出てくるのかまったく理解できない。アップルのスマホを使うとスティーブ・ジョブズに感謝しろ、と言われている感覚です。

 戦時中、戦後の混乱期に、そのような時期があったと言うことなのでしょうか。お金を出しても米が手に入らない、売ってくれない。こんな時代のなごりなのでしょうか。それにしては、日本中にこの感覚が蔓延している。やはり、別の理由がありそうです。もっと奥深い理由が。

なぜ、皇女和宮は箱根で亡くなったのか

 明治10年9月、和宮様は脚気の治療のため滞在していた箱根の環翠楼で亡くなりました。31歳の若さでした。

 和宮の主治医(元奥医師の遠田澄庵)など、詳しいことは過去記事をご覧頂くとして、主治医は、原因も分からない脚気という病に対して、現在の医学から見ても適格な治療をしていました。

 それなのに、和宮は亡くなります。その理由は、お付きの女官達が白米を食べたかったから、と管理人は考えています。

 和宮の夫である14代将軍徳川家茂も、和宮と同じ脚気で命を落としています。当時、将軍の食事を準備するにあたり、「米一粒一粒を吟味し、米ぬかをすべて除去する」、という専門職がいたようです。

 これでは、脚気は治りません。和宮の場合も、この作法を引き継ぎ、箱根の湯治場にまで持ち込んだのではないかと管理人は考えています。

 脚気は、ビタミンB1が欠乏して起きる病気です。しかし、ビタミンB1が豊富な麦を食べる西洋では存在しない病気でした。日本でも、精米の精度(米のつきかた)が低い時代にはこの病は発生しておらず、精米の精度が向上し、文字通り「白米」が食べられ出した江戸時代の後期に発生した病でした。江戸から離れると回復することから「江戸病」とも呼ばれていました。米ぬかや玄米の胚芽に含まれるビタミンB1がすべて取り除かれた状態のお米が食されていたのです。お米の栄養素の95%が米ぬかに含まれているそうです。白米の栄養素はお米全体のたった5%に過ぎません。

 和宮を死に追いやったのは、女官達が江戸と同じ美味しい白米を食べたい、という思いから、米ぬかをすべて取り除く手法を採ったのが原因なのかも知れません。ビタミンB1を含むバランスのよい食事をしていれば、31歳で亡くなることもなかったでしょう。

 ちなみに、和宮の主治医で脚気治療の大家であった遠田澄庵の治療法は、白米を絶ち、小豆を主体とした食べ物に変更するというものでした。

 ついでに、江戸時代の米の精米は「七分づき」程だったようですが、偉い人ほど手間暇かけて「白米」にして食べていたのでしょう。

もし、お米が食べられなくなったらどうする?

 もし、お米が買えず食べられなくなったら、あなたならどうしますか?

 ・ 海外旅行した時は日本食を食べなくても平気だったので、あまり困らない。
 ・ 普段もパン食やめん類を多く食べているので、なければなくて普通に過ごせる。
 ・ ご飯は糖質が多いので、あまり食べないようにしている。

 何となく、こんな答えが返ってきそうです。

 では、戦後の日本でお米が買えない、という事があったのでしょうか。

 実はありました。「1993年米騒動」と呼ばれた日本国民を震撼させる大事件が発生しました。

 事の発端は、20世紀最大級ともいわれる1991年(平成3年)6月のフィリピンのピナツボ山の噴火です。この噴火により噴出した塵が大気中に長期間漂い、日照不足・冷夏を引き起こした、とされています。

 1991年の噴火と1993年の不作とでは2年のタイムラグがありますが、気流に乗って拡散した塵が日本にやってきたのが噴火から2年後だった、というのが理由のようです。

 1993年の米の作況指数は74であり「著しい不良」でした。この 作況指数74 という数字がパニックを引き起こします。日本ではずっと米余りの状況にあり、在庫が2年分も国の倉庫に貯蔵されている、と誰もが考えていました。当時、積み上がる米の在庫に対する財政支出が問題視されていました。

 ところが、「食管赤字」としてマスコミから叩かれ「食管制度改正」が行われたことを国民は忘れていたのです。

  現在はというは、

  • 日本政府が保有する備蓄分 約100万トン
  • 民間在庫(農協・卸売業者等が保有) 約280万トン

あり、需要量の約半年分にあたると言われています。

 なぁーんだ、全然問題ないじゃん。もし収穫が半分になるような天災があっても、日本は縦に長い国だから、全国で米の収量が半分になることは考えられない。何の問題もない!

 と考えるのがマスコミの人たちのようです。

 新型コロナが蔓延し始めた時期、市中からマスクが消えた、ということを国民は覚えています。絶対量が不足していたわけではないのに、マスクが買えなくなった。国民がパニックに陥りました。

 絶対数が足りているはずのマスクが市中で買えない? とても奇妙です。

 その答えをあなたは知っていますよね。一つは、消費者のパニック買い、二つに、転売ヤーのまとめ買いです。

 もし、米の著しい不作が公表されたとしたら、日本中がパニック買いに走ることは明白です。その量は、米の年間消費量の数倍に達することでしょう。この需要の前には、政府の備蓄など吹き飛んでしまいます。

 今、米騒動が起きたら、そのパニックは想像を超えるものになると思います。国民は、マスクが買えない、消毒薬が買えない、などお金を支払っても物が買えないという状況を実体験しているからです。当然、パニック買いに走ります。

 政府の在庫など、あっという間になくなることは間違いありません。どんな経済予測も適用できない「米特需」が発生します。そして、パニック買いと転売ヤーの暗躍。

 想像を働かせなくとも間違いなくこのような状況が発生すると確信します。

過去のお米の作柄はどうなっているの?

 5分で記事を書くライターはやらないことですが、過去のお米の作柄はどうなっているのでしょうか。早速まとめてみました。データは農林水産省のものですが、令和3年については暫定値です。

作況指数の推移

 この表は、農林水産省が公表している作況指数(大正15年から令和3年)をグラフ化したものです。

 作況指数は、次のように定められています。

作況指数の基準

 これを見ると、図示した96年間で作況指数が94以下となったのは、13年です。7年に一度は不良の作柄となっています。

 では、1993年(平成5年)の作況指数は、「74」です。この数値で国民はパニックに陥り、実際、お米がどこでも買えなくなったのです。

 作況指数の最小値は、昭和20年の「67」です。その理由は説明不要でしょう。

 次が 1993年(平成5年) の「74」なのです。農林水産省が作況指数の統計をとり始めた96年間で、終戦の年である「67」に次ぐ「74」という数字。まさに、餓死者が出るレベルだったと言うことです。

 ちなみに、3番目は、昭和28年(1953年)の「84」。

 稲の生育は「積算温度」が重要な指標となります。毎日の気温をたしていき、一定の積算温度に達すると収穫できるという指標です。つまり、気温が高いほど不作にはならない。このため、冷夏の年は不作になります。実際には日照時間が病害虫の発生に影響します。つまり、「ひでりに不作なし」ということに。

 近年の地球温暖化の影響で、気温は高めに推移しています。このため、お米の生育は順調? とか思えば、そうではない。そこが自然災害のるつぼのような日本の特徴です。自然災害は天候だけではありません。

 台風も大きく影響します。日本の穀倉地帯を直撃する台風がルートを変えて日本全土に被害をもたらしたとしたら、作況指数は著しく低下します。

 さらに、自然災害で最も怖いのが火山の噴火です。噴火により巻き上げられた火山性微粒子が成層圏に留まり、長期にわたり太陽光を遮断することで農作物に対する影響が懸念されます。

 当然、作況指数は著しく低下。日本国内はお米が買えないというパニックに陥ります。

 もはや、お金を出しても買えない、転売ヤーでさえ買えない状況に陥ります。

そんな事態になる可能性って本当にあるの?

 少し前までは、そんなことは自分が生きている間には起こらないだろう、と高をくくっていた日本人がたくさんいました。

 しかし、阪神・淡路大震災、東日本大震災などを経験し、不安に駆られる日本人はたくさんいます。しかし、これは地震・津波の場合です。火山噴火のリスクが含まれていません。

 もし、火山が大噴火を起こしたら、日本の農作物は壊滅的なダメージを被ります。

 災害が発生する時期にもよりますが、地震の場合、地面の地割れで水田が漏水するという被害を受けます。しかし、それは、地震発生地域に限定された被害であり、全国のお米の収量に対する影響は少ないと思います。

 しかし、火山噴火の場合は別です。噴火の規模にもよりますが、日本国民は、数十年間、日本米が食べられないという事態も考えられます。

地球温暖化のメリットについては誰も言わない不思議

 地球温暖化についての議論が活発に行われています。近年、頻発する異常気象、超大型の台風、集中豪雨など、自然災害が世界的に多発しているからです。

 その原因は、地球の温暖化にあるとして、温暖化ガスの減少が世界の緊急課題となっています。

 でも、世界の中でも最も自然災害国である日本の住民としては、何か違和感を覚えます。

 まずは、海面上昇。どんなデータを示されても、日本では過去50年間、海面上昇はありません。これは満潮と干潮で下水道に入り込む水位の違いを知っている管理人は断言できます。海面上昇などありません。

 次に、大型台風について。伊勢湾台風、室戸台風、アイオン台風、など、記録的な被害をもたらした歴代の強烈な台風。 実際の所、このレベルの台風が近年発生しているのでしょうか。

 年平均気温が高いか低いか、お天気お姉さんに聞くまでもなく、毎年、とてつもなく変化しています。そもそも、平均近くの気温になる年など存在しないくらい、年間気温は毎年違います。

 数十年間の年間平均気温のデータ処理をすると気づくことですが、こんなに振れ幅が大きいのかと驚きます。つまり、気温とは、基本的に振れ幅がとても大きいものだと知る必要があります。

 地球が温暖化していることで、我々は大きなメリットを得ているにもかかわらず、すべてが悪者扱いになっている不思議。

 地球が暖かくなれば、地球に住む人たちは、暖をとるために薪を燃やしたり化石燃料を使う機会も減ります。

 奇妙なことに気づきました?

 地球温暖化対策を進めて、地球が寒冷化に向かうと、必然的にCO2の発生源である「暖房」が強化されるということです。

 地球温暖化論者のズルいところは、気温の上昇データの始点を産業革命あたりに設定して、これだけ気温が上昇したとフェイクグラフを提示していることです。ところが、この年代の横軸を1万年に設定すると気温上昇など誤差の範囲であることが分かります。 産業革命など関係なく地球の気温は大きく動いているのです。

 フェイクグラフは専門分野ではない素人学者が頻繁に使う手口です。

 では、本当の専門家はどう考えているのでしょうか。

 管理人が考える本当の専門家とは、地道に研究しているアメリカの大学などの教授達です。その中には、国連の研究者は含まれません。

 我々が着目すべきは、地球温暖化について、誰が情報を発信したのかということです。もし、それが国連の研究者だとしたら、疑いの目で見た方がよいでしょう。その理由は、彼らは、次の職を得るのに躍起になっているからです。とにかくセンセーショナルなことを発表して世界から注目を浴びるのに必死です。

 肩書きが大好きな日本のメディアの発信する情報は、常に、記事内に出典が書かれているか、書かれているとしたら(ほぼないけれど)、その出典の情報を発信している人物はまともな人なのか、という視点が重要かと思います。

日本のお米が買えなくなると・・・ 

 少なくとも、下の食べ物は食べることができなくなります。外国米では美味しく食べることができない。

おにぎり
いくらごはん

佃煮セット
いかの塩辛
卵かけごはん
納豆ご飯

 こんなに多くの料理がお米のおいしさで成り立っている。やはり日本米がなければ日本人は生きてはいけないかも。